ガチで会社を辞めるとふんぎりがついた瞬間

どうも、大輔です。

ここでは、
ボクが会社員を辞めると決断できた瞬間について
お話したいと思います。

自分自身、「まさか」でした。

ネットビジネスを副業で始めた頃は、
まさか自分が会社を辞めるだなんて
夢にも思っていませんでしたから。

ボクは安定思考でビビリです。ホンマに。

トロいし、コミュ障だし、
そのくせプライド高くて自意識過剰で。

でも、ネットビジネスに出会ってから
考えが変わっていきました。

そのことをお伝えしていきます。

目次

うまいことやってた頃

ボクは12年間、医療事務をしてきました。

別に医療に興味があったとかでは
ないのですが。

知人のお母さんが紹介してくれるとのことで
医療事務を始めたまでです。

当時、バンドをやっていたのですが、
聞くところによると休みの融通が
ききやすそうだったので、

「まぁいいか〜」

くらいなカンジでした。

ラクそうでもあるし。

ちなみに、それまでは大学在学中から
国家公務員試験を受けていました。

就活とかイヤすぎたので。

面接でわけのわからん自己PRするのとか
自分にはムリすぎて。

しかし、公務員試験には3度トライするもダメで、
仕方なく、就職をすることに。

トロいボクは、最初はヘマばかり。

まわりは基本的に年上の女性ばかりでですね、
こわいですよ。。

ガチでブチ切れられたこともあります。

入職して初めての年末、病院の食堂で
小さな忘年会的催しがありました。

お酒も出ており、ボクは上司に進められるまま
お酒を口にしたのですが、

そのとき当番にあたっていて
受付に立たなければならないのでした。

受付に戻ったボクは、先輩女性事務員に
おもくそどなられました。

「いい加減にしてください!!」

「社会人としての自覚あるんですか!!」

と。

…まぁ、ボクが悪いですかね笑

よくわからんまま酒のんで、
よくわからんまま怒られました。

アホですね。

上司にも嫌われていましたし、
よくネチネチ言われましたよ〜。

「このうすらハゲが!!」

て心のなかで叫びつつ、耐えてましたけど。

思えば、すぐに辞めていく人も多かったな。

いびられて。

きつい女性が多かったんです。

でも、次第にボクみたいな新しい人も増えていき、
「旧勢力 VS 新勢力」の様相を呈した後、

ボクら新勢力がどんどん力をつけていき、
徐々に職場に馴染んでいきました。

すっかり自分の居場所になりましたね。

忘年会なんか、たぶん皆勤賞でずっとボクが
手配してきました。

ボク自身、飲みにいくのとか好きなので
みんなにいいところを紹介したいと思って。

初夏になれば

「そろそろ忘年会の会場探さなな」

自然とそう考えるようになってたくらいです。

あと、ホワイトデーのお返しなんかも
男性職員の代表でいつもボクが選んでました。

ショッピング自体、嫌いじゃないですし。

それに、「ええかっこしい」ですから笑

ビビリのくせに目立ちたがりです。

そんなこんなで、いいカンジに仕事するように
なっていきました。

楽しかったですね。

もともと離職率も低い職場で、
ほんとに気心知れた人ばかりになってました。

それが、ボクが9年目になるときかな、
病院が移転することになります。

労働環境が変わり、自分自身、節目となる
社会人10年目を迎えるなか、
考えが変わっていきました。

新病院への移転でなんとなく会社員を辞める未来を想像し始める

2018年のGW中に病院が移転しました。

「ホテルかい!」

てくらいにキレイな病院で。

めちゃくちゃ広くもなりました。

でも、それまでとは環境が大きく変わり、
辞める人も多かった。

どんどん古株が辞め続けていきましたし、
結果、ボクもそのひとりになったわけですね。

ボクは2021年の2月に退職したので、
しばらくは留まっていたのですが。

病院が移転して最初の頃は、一生懸命に
働いていました。

ボクはもともと医事課だったのですが、
新病院では「健診室」の配置となり、
新しい業務もいろいろと立ち上げました。

自分の裁量もかなり増えたし、
それ自体は決して悪くはなかったですね。

ただ、ここに来て丸10年となり、
将来を考え始めるようになりました。

思えば10年間、給料はほぼ上がってない。

手取りで20万円ちょい。

役職についていったとて、手当は驚くほど
少ないのは知っていました。

「このまま責任だけ重くなっていくって

どう考えても、ヤバいよな」

それに、いつもただ同じことの繰り返し。

受付したり、会計の計算したり、
電話対応したり。

これを繰り返していても何かスキルが
ついていくわけでもない。

しかも、医療業界ってITリテラシが
超低いので、もう無駄ばかりです。

電子カルテを導入したのに紙の量、
超絶増えてましたしね。

誰もが言われたことだけ、
目先の仕事だけしてる。

「なんで皆は何の疑いももたずに

こんな業務を続けられるん?」

同僚の背中がどこか遠くに感じられました。

もうこの頃には副業でネットビジネスを
やっていたので、余計にです。

ネットビジネスでは月1〜2万円ほど
放置で生まれるようになっていました。

利益としては知れているんですが、
売上ベースで言えば、月50〜100万円という
レベルです。

「もっとうまくやれば、
 これを利益にできんかな」

そんなふうに思うようになっていきました。

ガチで辞めると思った瞬間

コロナが物議を醸し始め、初めての
緊急事態宣言が発令されたとき、
健診業務にもストップがかかりました。

いつも7時前に家を出て、朝イチの
健診に携わっていたのですが、
それがなくなります。

日中に健診予約の電話も、ほぼ鳴らなく
なりました。

健診室は3人で回していたので、2人が
休みのときはボクひとり。

そんなとき、なんとなく

「仕事を辞めたらどんなやろう」

と想像するようになりました。

それから、毎朝の出勤時、
リアルにイメージするようになっていきます。

ボクは車で通勤していましたが、

「もし仕事を辞めたとしたら、この道は

どんなふうに見えるんかな」

「朝、仕事にいかないってどんなんなのやろう」

「このままスタバにもいけるよなぁ」

毎朝、毎朝、それを想像しながら
ハンドルを握っていました。

「給料がストップするとか、ヤバいよな」

「コワ…」

仕事を辞めるということが、あっちに行ったり
こっちに行ったり。

寄せては返す波のように揺れ動きます。

「何より怖いのは、

日常亭な人とのつながりがなくなること」

それに気づきました。

お金なんて、言ってしまえば何とでもなります。

もともと年収300万円とかでしたから。

そんなん、何しても稼げる。

大学生の頃やってたクロネコヤマトでもいい。

Webライターとして業務委託で働いてもいい。

Webライターならフルリモートで働ける
案件がそれなりにあるし、

ネットビジネスと関連もするので
働きながらスキルも上げられます。

そんでもって物価の安い東南アジアなどに
いってもいい。

ボクは海外に憧れがあったので、それは本当に
思っていましたし、今も思ってます。

しかし、何よりも

「はたして孤独に耐えられるのか?」

これが一番大きな問題に感じたことでした。

ボクは年齢にして40歳手前です。

結婚はしてません。

よくマッチングアプリで女性と会ってましたが、
もし社会人という後ろ盾をなくせば、
相手にされなくなるかもしれない。

きっとフツーにしてれば、相手を見つけて
結婚もできるでしょう。

自分で言うのもなんですが、比較的若く
見てもらえるのもあり。

でも、それも仕事を辞めてうまくいかなければ、
完全に棒に振ってしまうかもしれない。

そんな恐怖もありました。

もう家族からは、結婚せえ結婚せえ言われて
ましたから。

ウザいですよね、あれw

こんなビビリな自分がひとりで生きていける
のだろうか。

サイアク、失敗してうつ病なって
引きこもりみたいになったらどうしよう。

不安は尽きない。

でも、最後に踏ん切りをつけられたのは

「もっと必要な人に出会える」

と思えたからです。

会社員を辞めてフリーランスになるというのは
どちらかと言えば、まで珍しい部類ですよね。

でも、だからこそ、同じような人とは
深くわかり合えるに違いない。

たとえば、海外に行ったとして、
そこで出会った人とか。

同じように覚悟を決めて生きてるような
人と出会えるとしたら。

男性も女性も、今より自分に必要な人に
きっと出会える。

そう思うようになったとき、
ボクは今の病院を辞めようと決めたのです。

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