2022年のフィードバックをば

ブログ記事を書くのが、かなり久しぶりになってしまいました。

2023年になったということで、かんたんに去年の振り返りでもしてまた今年の活動に活かしていきたいと思います。

目次

ライター講師デビュー

去年の2月、Webライタースクールのライター講師をやり始めました。時給にして1500円とそこまで高くはないですが、これまで自分のやってきたことを話すだけでお金になり、しかも基本的にひとり1年間のサポートと目先の安定収入になるのがいいなと思ったからです。

収入的には1カ月に10万円前後ほどを得ていました。ボクはタイピングはわりと速めだと思う(e-typing:439)のですが、ライティングが遅めでライターの時給が下がりがちなことを思えば、悪くありませんでした。

生徒さんは20名ほどをキープするようにしてきましたが、人にわかりやすく教える経験値としても大きかったですし、ライターを志す人がどんな属性なのかを理解することにも役立ちました。

スピーキングスキルも鍛えられましたね。ただ、週1回・1時間のZoom講義という範疇では濃い話があまりできなかったので、個人で教えられるようになればいいなと思っていました。

現に、このあとに述べるサイト運営にて外注ライターとして関わってもらっている人もいますが、スクールの期間が終わってバイバイじゃなくて、その後も何らかのカタチで関わっていけたらいいな、なんて思いますね。

ライターとして高単価ゲット & 文章力アップ

ライターとしては3円などの高単価を続けて受注できるようになってきました。

ボクは偉そうにライター講師をしていたわけですが、そのときから高単価案件をとれていたわけではありません。

それまでにサイト運営歴としては4年あったのですが、Webライターはあまりやったことがなかったのです。ライター講師を始めた手前、高単価といわれる案件を取れずにいると格好がつかないところでしたが、無事にクリアできました。

前職が医療事務で診療情報管理士の資格ももっていたので、その資格関連のジャンルから攻めて単価を上げていきました。その後も、医療経営などのジャンルで3000文字1万円などの案件を取るようになりましたね。

記名記事など、いちど実績として示しやすい案件に携わることができればそのあとはラクになるなと思いました。もともと自分のサイト運営で500記事ほどは書いていたので文字単価1円レベルははじめから楽勝でしたが、2円以上となると苦戦もしました。

やっぱり自分の記事を書くのとは、また違います。法人メディアなどで記事を書くことによりライティング力が上がりました。

まだまだライティングスピードを上げていきたいですが、そのようなモチベも生まれますし。なので、自分の記事も書きつつ、Webライターとしても活動するのがいいですね。

こうしている今も、なんて自分の記事はのびのびとスピーディに書けるんだと驚いています。

コワーキングスペースデビュー

ボクが使っているコワーキングスペースは、最高です。

TSUTAYA SHARE LOUNGEというTSUTAYAがやっているコワーキングスペースで、月額15000円で利用しているのですが、ひとつひとつの席は広いし、おしゃれな空間だし、軽食はあるしドリンクも飲み放題だしで、いうことなしです。

「いや、安すぎ、、(申し訳ない)」と思っているくらいです。

それまではコメダ珈琲やスタバ、サンマルクなどのカフェをローテーションしている時期を経て、その次にネカフェに落ち着きました。

ただ、やっぱり長時間にわたって滞在するとなるとカフェやネカフェは限界があります。居心地やトイレへのアクセス、料金などさまざまな問題があって。

その点、いまのコワーキングスペースはなにひとつ欠点がないです。欠点がないところが欠点なくらい、欠点がないですw

朝9時から夜22時までやってくれているので、生産性は確保できて、ホントに助かっています。毎日レベルで行っていますが、その場合、日割り計算をすると500円レベルなんですよね。激安。。

サイト運営を強化

2018年に作ってからずっと放置しているサイトがあったのですが、ちょっと本格的にメンテナンスを加えていくことにしました。

パワーアップしたライティング力を試したいのと、メンテナンスによりサイトを成長させるという、まだ未知だった領域を経験していきたいと思ったので。

また、Amazon・楽天アフィリエイトでは月5000円から、高いと2万円ほどまで収益が生まれ続けてくれていたもあり。

初めて作った特化サイトであり、目も当てられないような記事もたくさんありますが、アクセスが集まっている主要な記事からリライトするのと同時に、外注化もし始めました。

外注化もまたいい経験になりますし、規模をスケールさせるなら外注化抜きには考えられないです。

ボクはキーワード選定や構成などキモになる上流部分だけやって、あとのライティングはお願いする。これがまたおもしろいですね。

ボクのWebライターの生徒さんも関わってもらっているのですが、いい記事をあげてもらったときは、ボクが教えさせてもらったことが生きている実感がして、嬉しいです。

今後、もっとスケールさせていくフェーズになれば、主要メンバーにはディレクションなどもお願いしていきたいですし、そうなるともっとおもしろそうです。

個人としてダイレクト販売を経験

ライター講師の生徒さんでPC操作が弱い人に対して、ライター講義とは別で「ITリテラシ講座」と題した企画を提供し、初めてダイレクト販売を経験しました。

自分で値付けした料金の請求書を作成し、入金をしてもらったのです。ライターとしてクライアントに請求書を作成することはありますが、自分で何万円という値付けをして請求をしたのは初の経験でした。

内容的にはPC教室のような基礎的なもので、タイピングやショートカットキー、画像編集などです。

自分にとっては基本的すぎる内容ですが、Zoomも満足に操作できず、Webライティングを教える手前の状態の生徒さんにとっては有益な内容だったはずです。

ビジネスでは「何」を売るかより「どこ」で売るかが大事だったりしますが、そういったことも実感できた気がして、自分にとっては貴重な経験でした。

ひとりベトナム旅

2022年8月、1カ月間にわたってベトナムへ渡っていました。ひとりで海外へ行くのはこれが初めてで、しかも1カ月という長期間の滞在はボクにとって大きなイベントでした。

ホーチミンとダナンへ2週間ずつ滞在していましたが、旅行というよりも「旅」というのがふさわしいかなと思います。

これに関しては、書きたいことが山ほどあるのですが、とりあえず触りだけでも書いておこうと思います。

ベトナム旅の全体を俯瞰してみると、ちょっと大げさですが生き抜く力みたいなものが養えたこと、また価値観に変化があったことが特筆すべきこととして挙げられるかなと思います。

生き抜く力というのは、日本みたいな先進国ではない新興国で自分ひとりでやっていけたことへの感覚です。

空港やホテル、カフェでは、理解できないベトナム語を浴びせられるシーンもありましたし、イラつかれたりクスクスされたりもしました。

大量のバイクが行き交う大通りを、信号なしでわたるのに、冗談抜きに震えました。

グラブタクシーを呼んでも最初はうまく拾ってもらえず、結果、アプリを通さずにぼったくられたりもしました。

日本語が通じないなかダナンの病院を受審して検査を受け、陰性証明をもらうということもしました。

バイク移動がメインでまったくベトナム人が歩かない通りを、ひたすらひとり歩いて移動もしました。

旅慣れている人にはまったく大したことないと思いますが、こういったことを大きな問題もなくやり切れたのは、なんだか自分自身に自信がもてる経験となりました。

そもそもWebオンリーで最低限は稼げるという環境があったからこそベトナムに来れたわけです。会社を辞めてそういう仕事スタイルを選んだ自分だからこそ、経験できました。

また、体調ひとつ崩すことなく、色んな場所を巡れたのも、こじつけるなら日頃からランニングなどの運動をしていたからだと思います。

言語もそうです。知れたレベルではありますが、最低限の英語力があるからこそカフェで注文をしたり、空港のチェックイン窓口で手続きをしたり、病院を受診できたりしました。

ベトナム語もすこしだけ勉強していました。帰りのダナン空港では国内線ターミナルのホーチミン行きとなる入り口がわからなくてうろたえていたとき、「đi(go)」という単語が目に入ったことで発見に至ったこともありました。

こうやって日々、自分のリソースをフル活用した旅であったし、「もうどこでも生きていける!」と息巻きたくなるくらい、自分自身を心強く思える瞬間を経験できました。

また、価値観に変化があったというのは、1カ月レベルで先進国である日本を離れていたからこそ芽生えたものだったと思います。数日間の旅行レベルではここまで感じられないでしょう。

ボクはそもそも感覚的にワーケーションでもしにいこうくらいなノリでベトナムに行きました。なので、なにか特に自分を変えたい!とか、そういう若い頃に抱いていたような発想はありませんでしたし、そっちに寄せていこうみたいなことも一切思っていませんでした。

でも、時間をかけて染みていったものがあったのです。あまりここで深くは書きませんが、まあ日本とは何もかもがと言いたくなるくらいに違う国であり「カオス」と表現したくなることばかりです。

こんな時間の経ち方をしている国があるのだなと思いましたし、逆に考えれば、戦後、日本は何というスピードで成長して今に至ったのだろうと心底に驚嘆する思いでした。

日本で過ごす日常のすべてが、まったくそんなことはなく、むしろなんて非日常的なことばかりなんだと思えるほど相対化しました。

日本ではシャワーの温度はほぼ100%の確率で、0.5℃単位の微調整ができます。都会でなくても、どこにいっても道はキレイに舗装されています。信号もたくさんあって交通ルールを守ります。

それがベトナムでは、地元の超ローカルなボロい道を50年くらい巻き戻したくらいの道ばかりです。これは言いすぎかもしれませんが、ダナンではそんなふうに思いました。ホテルでは、1ヶ月間のうち機嫌よくお湯が出てくれたのは2、3回ほどでした。信号は大きい通りくらいしかありませんし、信号無しで横断するのが当たり前です。バイクがビュンビュンと走っているのですがが、家族4人で原付きに乗っている光景は珍しくありません。

もうこれだけでも価値観が変わるのに十分すぎます。

でも、向こうで触れ合った人たちがいたからこそ余計にそう感じることができたのだと思います。

このへんのことはまた別の機会に書こうと思います。

まとめ

あらためて振り返ってみると、けっこう新しいことがあったなと思います。

ところで、こう書いていてライターをやり始めてからライティング力があがったのを感じます。ひとかたまりの情報を書く、あるいは構成をするのに迷いがなくなりました。タイピングも速くなりましたし。

やっぱりライティングはアツいなと思いますね。これで稼ぐこともできますから。

ということで、また旅をしたいですし、そのためにもっとWebで稼げるようになっていこうとあらためて決意するしだいです。

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