プロフィール

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はじめまして、大輔といいます。

ボクは現在、フリーランスとして
情報発信やライター業をしています。

もともと12年間、
医療事務員として病院で働いていました。

会社(病院)を辞めた理由のひとつは、
ネットビジネスで稼げたことです。

「自分でお金を稼ぐ」

こういう経験をして、
シンプルに生き方の選択肢が増えました。

たとえば、これとは違うブログですが
2020年には年間500万円の売上がありました。

(利益じゃないです)

実際に、ある月の実績を載せておくと
こんなカンジです。

もっと頑張れば会社員以上に稼ぐことも
できるだろうと思って

ネットビジネスの道にフルコミットする
ことにしました。


また、ネットビジネスでは
ただお金を稼ぐだけじゃなくて

「自分のコンプレックスも活かせる」

というおもしろさも、あります。

ネットビジネスでは
自分の知識・経験を情報発信していくのですが、

そのなかで大きな武器になるのが
自分のネガティブな部分っだりするからです。

ボクはもともと、
自分にまったく自信がない人間でした。

  • 他人の評価を気にしすぎる
  • トロくて頭の回転が遅い
  • プライドだけ高い

こんなヤツで。

本当にコンプレックスのかたまりでした。

でも、失敗、悩み、コンプレックス…
そういうものがあるほど

おもしろくて、
誰かの役に立ててもらえるコンテンツが作れます。

たとえば、次のようなことだって
情報発信のいいネタです。

  • コンプレックスを克服した(している)過程
  • コンプレックスへの共感
  • コンプレックスの解決方法

これってそれについて悩んでいる人にとったら
めちゃくちゃ有益じゃないですか?

それに、人は誰かの成功体験よりも、
挫折や失敗にこそ深く共感するものです。

だから、弱点やコンプレックスがある人ほど
価値提供できるものを多くもっていると言えるんです。

ネットビジネスでは、
そういうことを通してお金を稼げる。

誰かの役に立ってお金をいただいて、
その結果、自分も自信がついて、
自己肯定感が高くなっていく。

「サイコーやん」

そういうことで、
ボクはネットビジネスをガチでやっていこうと
思うようになりました。


ボクはネットビジネスで

自分を活かしながら「自由」を目指せる

思っています。

このブログでは

これまでボクがネットビジネスで
経験してきたこと、

200万円以上の知識投資をして
学んだきたことについて

お伝えしていきます。

このブログを読んでもらって

  • 個人で稼ぐイメージができる
  • 会社員以外の生き方を理解できる
  • 何歳からでもチャレンジはできる

といったことが感じてもらえると
幸いです。

ネットビジネスで稼ぐというのは
思っているより難しいことではなく、

知ってるか知らないかだけの世界

だったりもします。

  • 副業で月に2、3万円稼ぎたい人
  • 将来的に脱サラしたい人
  • まだ右も左もわからないビジネス初心者

どの人にも
おもしろいと思ってもらえる情報を

発信するよう心がけていきますので
どうぞ、よろしくお願いします。

では、ボクがお伝えしていく情報が
より濃くなるように、
自己紹介をさせてもらいただきます。

目次

両思いの女の子と話せない小学生時代

ボクは小学校の頃から、

自分を表現するのがめっちゃ苦手

でした。

思ったことをパッと話せないし、
相手からヘンに思われていないか気になる。

すぐ相手の顔色をうかがってしまう。

「どう思われてるんやろ」

「場の空気を凍りつかせたらどうしよ」

「下に見られないようにしないと…」

そんなことばかり考え、
勝手にネガティブ全開になる。

自由に話せない。

地蔵化する。

そんな自分が好きになれない。

両思いになった女の子と会っていても
そんなカンジでした。


小学校6年生のとき、
初めて付き合った女の子とのことです。

生まれて初めて告白をしたのですが、
なんとOKがもらえました。

(めっちゃ嬉しかったです)

ちょうど夏休みの時期だったので、
お互いの友だちも一緒になって
よく遊んでいましたね。

しかし、まーったく話せないのがボクです。

喋ろうとすると、
緊張で声が震えるしやたら低くなるし。

頭が真っ白になり、言葉が出てこない。

「今日の服、よく似合ってるな」

「今日もかわいいわ」

「…今のしぐさ、ヤバ」

そう思ってても口にできない。

いつもバイバイした後になって

「明日は喋ろ…」

そう思うのですが、
うまくいったことが、ほぼないw

いつもそんな自分の性格に悩んでましたね。

初めての彼女とは、
夏休みが終わる頃にはお別れしました。

つまらんヤツだとバレるのが怖かったから

です。

バカにされたくなかったから、
そうなる前にフィニッシュです。

相手の女の子からしたら
わけわからないと思いますけど。

そんな自分のこと表現するのが苦手で、
勝手に被害妄想膨らましがちな子どもでした。

ヤンキーデビュー。からのガリ勉野郎な中学生時代

中学は、大人しいボクがまさかの、
ヤンキーデビューで幕を開けます。

生まれ育った地域柄でしょうね、
ナチュラルに悪く仕上がりました。

  • タバコ吸う
  • 酒飲む
  • 授業出ない
  • 学校のガラス割りまくる
  • 夜遊びする
  • 万引する
  • バイク乗る
  • ピアス5個くらい開ける
  • 髪を金髪やピンクにする

と、とにかくイキりたおしてました。

アホです。

でも、ビビリで人の評価ばかり気にする、
自意識過剰なところは変わっていませんでした。

当時髪を長く伸ばしていたのですが、
それって実は、

髪を切りに行くのがめっちゃ苦手だったから。

髪をカットしてもらってるときって、
喋ることがない。

どこ見てたらいいかもわからないし。

よくジャニーズの雑誌の切り抜きとか
持っていってたのですが、

「コイツ、自分のことイケてると思ってんのかな?」

そんなふうに思われてないか
内心ドキドキしながら手渡していました。

こんなふうだったので、
なるべく美容室に行かなくて済むように
カットは半年ペースが基本でした。

どんだけw


あと、友だちと服を買いに行くのも
得意じゃなかったです。

服を選んでいると、友だちやお店の人に
センスないと思われてないかって
ハラハラするので。

おしゃれがよくわからなかった。

友だちはスイスイ好きな服を選んでいくのに
自分はまごまごして。

「これが好き」

みたいなことが直感的に、こない。

「どう思われるか」

が最初にくるから。

くぅぅぅ。

そんな、針の穴くらい気が小さなワルでした。


そんなヤンキー少年だったボクですが、
突如、ガリ勉野郎に大変身を遂げます。

キッカケは、中学3年で受験生になったこと。

それまで授業すらろくに出席していなかったのに、
中3の夏休みには1日18時間とか勉強するように
なってました。

鬼。

とにかく、
中卒で働くとか想像できなさすぎました。

「それはマジ、ない」

最低、地元の公立高校にいけないことは、
死を意味するくらいに、ありえないことでした。

社会の常識から逸脱して
転がり落ちるかもしれない恐怖。

大多数の人と違う道をいくことになるなんて
自分には受け止められない。

根が臆病で、小心者。


この頃から漠然とした劣等感が
つきまとうようになります。

なんだかやけに、友だちたちや同級生たちが
立派に見えるようになりました。

一方で、まるで自分はゴミくずように思える。

だからこそ、
劣等感が原動力で勉強しまくりました。

勉強勉強勉、強勉強勉強勉強…

当時、そんな心のうちを言語化することも
できなくて。

ただただ、
巨大な岩のかたまりみたいな不安に
押しつぶされそうになってました。


いやー、必死でしたね。

それまで勉強してなかったせいで
中3になって、中1の範囲からやってましたから。

疲れきっていたせいか、
初めて金縛りにもなりました。

めちゃくちゃ怖かったです。

あるとき、いきなり体が動かなくなったのです。

「な、何ごと?」

…カラダ、動かね。

恐怖が滲んでくる。

「これが金縛りってやつ?」

どんどん恐ろしくなって
ヤバいことが起こってる現実に対して
完全に気が動転します。

思わず口をついて出そうになった言葉が

「おかーーーーーーーーーーん!!」

でしたが、声を発することができません。

恐怖をごまかすために必死で、

「関係ないこと考えよ…」

と、とっさに出てきたのが
「シチュー」でした。

とにかくシチューのことばかり考えて
頭の隅々までシチューで満たすことに
全力を注ぎました。

そんな金縛りになるくらい
当時は疲れてたんだと思います。

自暴自棄になることもありました。

手を骨折さしたろうと机をガンガン殴ったり
(痛いので止めましたが)、

CDプレーヤーが調子悪くなったのにいらつき、
バキバキにぶっ壊してやったり。

ちょっと頭おかしかったですね…。


当時、勉強をするときは地域の児童館の
先生に教えてもらっていました。

熱心に指導をほどこしていただいた。

よくご飯も食べにつれていってくれましたし。

今にして思えば、もしあのとき、
先生がいてくれなかったら
今の自分はないと思います。

大学という道を教えてくれたのも
その先生でした。

「大学は夏休みが2ヶ月あるねんで」

これに釣られて。

「大学生って、そんなええ思いできるのか」

と、大学に行くことを決意しました。


しんどい受験生時代、
この先生のおかげで無事に乗り切れました。

なんとか地元の公立高校にも合格できまして。

助かった…。

でも、一緒にヤンチャしていた連中は見事に
誰一人として受からず。

孤独な高校生活が始まりました。

そして、劣等感はさらに深まっていく。。

勉強漬けの高校〜浪人時代

高校生になったボクは、
中3からのガリ勉モードを継続します。

結局、2浪して大学に入るまで
ひたすら勉強に明け暮れていました。

希望の大学には受からなかったのですが、
中学の頃クソアホだったボクが、

全国規模の模擬試験で100位台をとるほどに
猛勉強しました。

(全国の国公立文系志望者18万人くらいのなかで)

関西の某有名私立大学の文系志望者(1〜2万人ほど)中、
1位になったことも。

ではなぜに、そこまで猛烈に勉強するように
なったのか?

当時もよく聞かれましたけど。

その本心とは、今になって言語化してみると

  • 勉強に打ち込めば劣等感から逃れられる気がした
  • 勉強しか大人になるための選択肢を知らなかった
  • 努力すれば報われると思っていた

こんなところだったのかなと。

ひとつずつ深ぼってみます。

勉強に打ち込めば劣等感から逃れられる気がした

「なんでこんなに苦しいん」

「みんなは青春ど真ん中やのに」

「こんな自分、自分じゃないし…」

中学生の頃からこじらせ始めた劣等感は
高校になっても消えませんでした。

そりゃ、そうです。

「この冬だけの期間限定キャンペーン」

でもあるまいし。

そう都合よく、高校生になったからといって
解決されるものではありません。

でも、勉強に打ち込めば、
劣等感を正当化できる気がしました。

「勉強キャラ」を身にまといます。

なりきっていたというか。

自分に対しても、他人に対しても。

教室にいるときは
勉強さえしていれば、

ずっとひとりで下を向いていても
変に思われることはありません。

「勉強してますから、お構いなく」

と。

「あなたたちと違いますから」

くらいに思ってる。

これはラク。

人に絡まなくてもいい。

誰かが話しかけてきてくれても
うまく話せない自分に、
いちいち直面しなくてもいい。

こんなふうに分厚いバリアを張っていました。

勉強する人というアイデンティティで、
劣等感をうまくごまかせる気がしてたんですね。

勉強しか大人になるための選択肢を知らなかった

大人とは、会社員と同義。

当たり前にそれしか選択肢がなかった。

こんなコミュ障な自分が大人になるなんて
想像できなかったけど、

ただ勉強だけがなんとなくそこに繋がっている、
か細い糸のように思えたのです。

「おもろくもない仕事するなんてイヤやな」

「けど、大人ってそういうもんやし…」

そう思っていました。


過去に戻れるなら

「もっとこんな生き方もあるで」

「必ずしも会社員だけじゃないよ」

て、当時の自分に言ってあげたいですけどね。

あのとき会社員とは別で、

自分を活かしてお金を稼げるリアルな選択肢が
あると知れたら、

もっと将来に希望を見いだせていたと
思います。


当時、そういう情報をとりにいかなかったのは
自分のせいなんですけどね。

でも、情報も少なかったですしね、
今とは時代も違った。

だから、これからの時代は、
もっと自由を手にできる人が増えてほしいです。

別に大人になるって、会社員だけじゃない。

努力すれば報われると思っていた

今は言い切れますが、
努力はただやったらいいというものじゃない。

正しい知識に基づいた、
正しい努力というものがあるから。

もちろん何か成したければ
努力するのは当然です。

でも、努力したからといって
絶対に勝てるわけじゃない。

というか、負ける人の方が圧倒的多数です。

努力しても報われないことは
めっちゃフツーにある。

これがシンプルな現実。

限られた時間のなかで勝つためには、

正しい知識を学んで
構造的に間違いのない努力をする

必要があります。


ですが、当時のボクは

「努力すればなんでも実現できる」

と信じていました。

「とにかく、ひたすらやったろ」

と。

だから、ただひたすら
勉強に青春のすべてを注いだのです。

でも結局、希望の大学には受からなかったんですけどね。

今でも悔しい…。

ただ努力するだけではダメ、なんですね。


以上のように、
高校〜浪人時代は勉強ばかりして過ごしていました。

初めてのアルバイトで働くことを経験した大学生時代

大学生の頃は、少しずつですが
精神的に安定してきました。

初めてバイトをしましたが、
働くことを知る、いい経験だったと思います。

お金を稼ぐってことがどんなものか、
身をもってわかりました。

ただ、最初はコミュ障に根ざした?失敗もしました。

中学生の家庭教師をやったときですが、
1日で断りの申し出を入れられました。

ショックだったぁ。

当時はバンドを組んでいて
よく練習でスタジオに入っていたのですが、

そのときに家庭教師の派遣元から
電話がありました。

「ご担当の生徒さんに関することなのですが」

「はい?」

「先生の変更の申し出がありまして。

 …今後、また機会がありましたらお願いします」

「…」

なんでやーーーーーーー。

確かに、手応えよくなかったんですよね〜
教えているとき…。

家庭教師は自分には向いてなかったみたいです。


家庭教師以外には、
工場でサンドイッチを作るバイトもしました。

ここでは、
おばちゃんに褒めてもらえます。

仕事内容は、担当した食品をレーンに乗せていく
流れ作業です。

たとえば、サンドイッチを作るときは

  • パンを置く人
  • レタスを乗せる人
  • ハムを乗せる人
  • マヨネーズをかける人
  • パンをかぶせる人

とそれぞれ担当に分かれて、
レーンに沿ってスタンバイします。

めっちゃ単純な作業なんですが、
レーンの動くスピードが超絶速い。

「いや、ムリムリw」

失敗したら職員のおばちゃんに

「はい、レーンとめてーー」

「しっかりしてやー!」

と注意されます。

バイトの人が多いので、
怒られてる人ばっかりでしたねw

ただ、ボクはわりとすぐに慣れて
うまくさばけるようになりました。

ハムを担当したときは、
ひっついてめくりにくいハムを、

片手で高速にめくっていく奥義を
習得しました。

おばちゃんも目をみはるほどの成長です。

「あのハムの子はいいカンジ」

そんなふうに言ってもらえました。


これら以外にもいくつかバイトをして、
そのなかで

「働くってこんなんか〜」

と、だんだん要領がわかってきます。

最初は失敗したものの、
長いものでは3年続けたものもありました。

「自分でもできるもんやな」

と、小さな成功体験が積み重なりました。

やってみたら意外と簡単ってことは
ありますよね。

ボクは最初、
バイトごときでもビビり倒してましたが、
やったらできました。

結局、やるかやらないかです。

やらないうちから悩んでいたって
解決することはない。

失敗を恐れていたら何もできない。

失敗しないことが、いちばんの失敗なんです。


大学生の頃には
今も頻繁に会う友だちもできました。

車の免許もとり、旅行にもよく行きました。

なんだかんだで、楽しく過ごせることも
多かった。

劣等感もすこし
マシになっていきましたし。

ゆっくりですけど。

その後、
就活が嫌すぎて国家公務員試験にトライ。

が、またしても失敗。くっっっ。

このようにして最終的には、
その後12年間務めることになる、
病院に就職することになります。

12年間の会社員時代

会社員になると
新人時代は期待を裏切らずに
よくやらかしましたよ。

しだいに馴染んでいって
居場所にすらなりましたけどね。

ネットビジネスに出会ってから
人生が変わり始めます。

まさか超安定志向の自分が
フリーランスとして独立するなんて。

また親のことも、
会社を辞めるひとつのきっかけでしたね。

ここからは、そんな会社員時代のお話です。

やらかしまくりの新人時代

新人時代はよくヘマをしました。

もうおわかりのように、
ボクはマジでどんくさいヤツでして。

トロいしのん気で…
自分でも嫌になります。

いちばんやらかしたのは、
ごまかしようのない大遅刻をかました挙げ句、
その翌日にも寝坊したとき。

2連チャン遅刻はヤバかったです。

目覚めたとき、死んだろかと思いました。


その次に覚えてるのは、
先輩の女性事務員をブチ切れさせたことです。

「いい加減にしてくださいよ!!!」

「社会人としての自覚あるんですか!!?」

いい大人が正面切って、
社会人としての自覚の有無を問いただされることは
そう経験するものではありません。

むしろ、清々しかった。

その日は、年内ラストの仕事だったんです、
年末で。

病院の食堂では、
ささやかな忘年会的イベントが催されており、
お酒も振る舞われていました。

「お酒は飲むの?」

「はい、飲みます」

「ほな、飲み飲み!」

「すいません、ありがとうございます!」

というカンジで、上司にすすめられるがまま
お酒をいただきました。

そうして自分の部署の事務所に戻ると
ほどよい赤ら顔になったボクを見て、

先輩が激昂してきました。

ボク、どうやら受付窓口に立たないと
いけなかったらしくて。

まだ仕事残ってたわけですね。

で、ナニ考えとんねんということで
バチバチにいかれたという。

ポンコツですね…。

そんなボクもやがては職場に馴染んで
居場所のひとつになりました。

病院の人全体が顔見知りってくらいで
居心地もよかったです。

ずっと同じ職場でやっていくのかなぁと
思っていましたね。

ネットビジネスに出会うまでは。

ネットビジネスとの出会い

ネットビジネスに初めて出会ったのは
2017年のこと。

もちろん当時は、
知識0・ビジネス経験0・スキル0の
初心者でした。

ボクは決して早い段階で大きな成果を
出せたわけではありません。

でも、

時間をかけながらも、
大事なことを学びました。

まとめてみると、こんなカンジです。

  • インターネットでリアルに稼げる
  • ネットビジネスで自分を活かせる
  • ネットビジネスが怪しいものではない
  • 人生に自由を求めてもいい
  • 会社員以外の選択肢がある
  • まだまだ成長していける
  • 上記すべてが「楽しい」ということ

最初は、副業で月2、3万円ほど稼げたらいいな
くらいの気持ちでしたが、

どうせやるなら不器用なりに
ガチでやりたいと思うようになり、

とあるメルマガで紹介されていた
2万円の教材を購入して学びつつ、

その後、

教材販売者のコミュニティに参加することを
決めたのです。

そこで、価値観崩壊する経験をします。


思えば最初は
ブログの立ち上げにも一苦労でしたね。

聞いたこともない抽象的な言葉が
たくさん出てきましたから。

「WordPressか…なんやそれ」

「ドメイン、ネームサーバ…それ食べれるの?」

こんなレベルでしたし、
WordPressの開設に何日もかかりました。

今では1時間あれば、
新規サイト開設から初期設定まで

パパっとできますが、
初心者にはけっこう大変で。。

こうして時間はかかりましたが、
なんとかWordPressを自力で開設しました。

これだけでも、わりと自信になりましたね。

「オレ、もしかしてプログラマに向いてる?」

言い過ぎですけど。

でも実際、WordPressなんて一般の人は
知りもしないものですし、
それができるだけでも大したものです。


こうして教材を使って
自分で勉強していたのですが、その後、
教材販売者のコミュニティに参加します。

「成長の一番の近道は教えを乞うこと」

と思ったからです。

コミュニティのセミナー初日は、

「うーわ、怪しくないかな」

「どんな人らが来るんやろ」

「自分とか場違いじゃない?」

と、ビクビクしながら
セミナー会場に行ったのを覚えていますね。

生まれて初めてのセミナーで緊張しましたが、
なんだかんだ、まわりの人とも会話できました。

考えてみれば自分以外の人だって、
不安を抱えながら参加してるのは
同じですしね。

意外とスグに打ち解けられました。

初日はセミナー、懇親会、二次会と順調に
参加していきました。

不安でしたが、なんとか乗り切れましたね。

そして、その後も半年間、
リアルで開催されるセミナーには
すべて参加していきました。

合宿にも参加し、大勢の前で
プレゼンする経験なんかもしました。

全然でしたけどね。

でも、いい経験だった。

こうしてコミュニティに参加したことで、
会社員だけやっていては

まず知り得ないような世界を
肌で知っていくことになります。

  • ネットビジネスで起業して年商10億円
  • 30歳の社長で年収1億円
  • 月収数百万円

こんな人たちがいました。

「億」とかそれまでの自分の人生に
かすりもしない単位でしたけど。

さすがに年商○億円レベルの人は
異次元すぎですが、

それ以上、ダイレクトに影響を受けたのは
むしろ自分と同レベルの人たちでした。

たとえば、Jさん。

30代前半で、
YouTubeで収益化するのを
目指している男性。

自分と同じく、
リアルなセミナーに毎回参加していたので
仲良くなりました。

あるとき、一緒にセミナー後の
二次会会場に向かう途中で迷子になって
2人で飲む流れになりました。

「最近、どんなカンジですか?」

「まだチャンネル登録者が全然で…」

話を聞いていると

JさんはYouTubeのチャンネル登録者を
増やしているところで、
収益はまだ0円とのことでした。

一方でボクは、
Googleアドセンスのブログ収入があったので
すこしリードしているな、て思ってました。

そんなリードも束の間、
1ヶ月後のセミナーで聞くところによると、

Jさんのチャンネルは爆伸びし、
月収50万円を突破していました。

「What ??」

でも、彼みたいな人は決して珍しくなくて。

もうひとりは、
自分と同時期にネットビジネスを始めた、
当時19歳のTくん。

めっちゃおとなしくて、いい子。

セミナー後の二次会では

「それは、もっと遊ばなあかんで〜」

とか言って、じゃれたりしていましたが、

そんな彼、気づけば社長になってました。

「おおおお…マジか」

Tくんはホントにどこにでもいそうな、
ごくごく普通の男の子。

いや、誤解を恐れずに言えば、
ひょろいし大人しくて、弱々しいくらいのタイプです。

(失礼)

そんな彼が社長になって

「こんなフツーすぎる人でも突き抜けられるんや」

「それなら自分にもできるはず!」

と、リアルな自信をもてました。

(失礼w)

いや、ホントに

「なんでこんなフツーの人が…?」

みたいなことはよく思いました。

どちらにせよ、いい意味でバグれました。

価値観崩壊です。


こうして、ボクはネットビジネスを知り、
コミュニティに参加したことで

会社員の外側にある世界を、
会社員以外のリアルな選択肢を、

知ることになったのです。

会社を辞めようと決断できた理由

ボクは今このタイミングが

「チャレンジできるラストチャンス」

だと思って会社を辞めました。

今のところ独身で、
養うべき妻子がいるわけではありません。

幸いに、祖父母が残してくれた持ち家があり、
ボロいですが、家賃なしで生活ができています。

チャレンジできる最低限の環境は、
一応そろっています。

年齢的には、30代後半。

安定、結婚、家庭、子ども。

そんなものへの憧れもないと言えば、
嘘になります。

「もし会社を辞めて失敗したら…」

「社会人として、男として、すべて失ったら…」

そう思うと、フツーに怖くもなります。

年齢的に、失敗したらもう人生、終わりかも。


でも、このタイミングを逃せば、
もう一生、チャレンジできるチャンスは
めぐってこない。

「すべてを失っても、かまわない」

息してるだけの人生をあと30年続けるよりも
自分を信じて行動して、1年で死ぬ方がマシです。

(死ぬのはイヤです)

チャレンジしない失敗より、
チャレンジした失敗の方がよっぽどいい。


40歳を前にしたボクら世代って、
いわば人生の折り返し地点です。

80歳で死ぬとしたら、ちょうどあと半分ほど。

あらためて人生を見つめ直したとき、
このままでいいのかと疑問が浮かびます。

社会人歴も10年という節目を
超えたところでした。

「なんのために働くのか?」

「おもしろくもない業務をあと何年するの?」

「会社にこき使われて人生終わるの?」

もっと自分の時間を生きたい。

自分を活かしたい。

ちゃんとおもしろいと思えることに
自分を捧げたい。

そして、ひとりではない。

きっともっと自分に必要な人に出会えるはず。

そう思えたとき

「会社、辞めよ」

となりました。

最後のチャレンジをしようって
決心したのです。


あと、この決心の裏には、
両親のこともありました。

介護が必要になった両親のこと

自分で稼いでいこうと決めたのには、
両親のこともありました。

母親はボクが20歳の頃、
脳出血を患い、一時は生死をさまようほど
重篤な状態になりました。

一命はとりとめましたが、
片半身麻痺という後遺症が残ります。

当時は長い間、入院していましたね。

今では元気にしているのですが、
ひとりで買い物などにいくことはムリで。

単独で行動できる範囲といえば、
家から半径20メートルほど。

また、言葉や感情のコントロールも
思い通りにならないときがあります。

少なくとも、自立して社会生活を送るのは
厳しいです。

家とおばぁが、世界のすべて。


そんななか、
父親が認知症になりました。

まさかです。

60歳すぎという若さにして。

父親は60歳手前で退職したのですが、
それがよくなかったんでしょうね。

特に趣味とかやりたいことが
あるわけでもなく、

交友関係も広くありませんでしたから、
ただ家にいる毎日を送るようになりました。

そりゃあ、働いているときとくらべると
刺激もないし、頭をつかうこともないので
認知機能が低下していって当然です。

いつからか、
様子がおかしいときが増えていきました。

印象的だったのが、大阪北部地震のとき。

地震のとき、ボクは車で出勤途中だったのですが、
いきなり岩に衝突したのかというほど
大きな衝撃を覚えました。

ちなみに、
かなり被害が大きかった地域です。

あたりを見渡せば、
街頭がぐわんぐわんと揺れていたので
そこで初めて地震だと悟りました。

会社に行っても騒然としていますし、
ボクは、自分の家が心配になりました。

ボクの部屋には
ギターなど音楽の機材が多かったので
それが大丈夫かと思ったのです。

父親に電話して
見てきてほしいと頼みました。

しばらくすると、おりかえしの電話があり

「別に大丈夫やったで」

とのこと。

ホッと、一安心です。

何より大事な機材たちですので。
何十万円とするものがゴロゴロあります。

しかし、帰宅すると

「……。」

言葉が出ませんでした。

ギターはバッタバッタと倒れているし、
iMacは落下して画面が割れているし。

ぐちゃぐちゃでした…。

これを大丈夫という父親は、
もう正常ではなかった。

まもなく、
精神科のある病院や介護施設に
足繁く通う日々が始まります。

同時に、
それまで父親がしてくれていた母親の通院も
ボクがすることになります。

こうして両親とも、社会的自立が難しく
介護が必要な状態になってしまったのです。


あるとき、
母親が転倒して入院することがありました。

大したことはなかったのですが、
突然の入院って、バタバタしますよね。

もう父親をひとりにはしておけないので
しばらく介護施設に泊まってもらうことに
しました。

お金もなんだかんだでかかります。

その年にボクは、100万円ほどの額を
負担しました。


ちょっと長くなりましたが、
言いたいのはここからです。

あのとき、
会社員という働き方しか知らなければ
ボクは精神的にキツかったと思うんですよ。

両親とも介護が必要。金もかかる。

サイアク、自分は両親のために色んなことを
諦めなければならなくなるかも。

たとえば、結婚とか。

親のいる場所から遠くは離れられないし、
金のこともあるし。


でも、

「稼げるようになればいいやん」

と前向きな気持ちをもてたのは、
ネットビジネスを知っていたから。

希望をもてた。

たとえ少ない額であっても、
自分で稼げた事実が未来を
照らしてくれました。

それだけでも、
精神的な余裕が生まれる。

これ、マジでバカにできないです。

もし、たった100円の収益だったとしても、
給料じゃなくて自分で生み出したそれは
可能性のかたまりです。

ネットビジネスで
収入を増やす方法を知っていて
救われたと思いました。

会社員オンリーな見方しかできなかったら、
きっと悲観的にしかなれなかった。

そうやって人生観すら、
ネットビジネスに関わるようになって
変わっていった。

ブログのコンセプト

このブログのコンセプトは

「自由」を増やす

ことです。

ボクはネットビジネスを知って
少なからず自由になれたと思います。

ちなみに自由って

好きな場所で、好きな時間に
自分を活かして生きられる

ことだと思っているのですが、
ネットビジネスでこれを実現できます。

なぜなら、ネットビジネスでは

パソコンひとつあれば、いつどこででも
働けますし、

何よりも、

自分の知識・経験を商品=コンテンツ

にできるから。

そして、

劣等感、コンプレックスみたいな
ネガティブなものにこそ

その人にしか生み出せない価値があり、
何より人の役に立ててもらえる商品になります。

ボクはトロくて他人の評価ばかり気にする、
劣等感だらけの人間でした。

今もそんな自分と戦う毎日です。

逃げる日もあります。

でもだからこそ、発信できることがあるんです。


ボクと同じような人には
ネットビジネスのことを知ってもらいたいです。

あなたにしか作れない商品を
世に生み出してほしい

から。

理想かもしれませんが、
もしネットビジネスについて伝えられたら

引きこもった挙げ句に
認知症や鬱になる人も減らせるんじゃないかと

思うのです。

現に、引きこもって生活保護を受けながら
酒とギャンブルに溺れている友だちがいます。

怠けているようにも思えるのですが、
実は彼も苦しんでいます。

抜け出したくても、抜け出せない。

ボクには、
引きこもって長くニートを続けた結果、

もう会うことができなくなってしまった
友だちもいます。

小・中・高と同じ地元のツレで、
バンドも一緒にやっていた仲で。

頭の切れるタイプでもあったし、
いつか逆境をバネに何かをやってくれると
思っていました。

しかし、現実は残酷なんです。

引きこもりみたいになった結果、
認知症になった父親しかり。

努力や気力ではどうにもならないことがある。

そんな引きこもりでもニートでも、
ちゃんと学べば、家にいながらでも

自分の知識・経験を活かして情報発信して
お金を稼げる。

小さな一歩が、何かを変えて
すこし背中を押すキッカケになるかもしれない。

だから、そんな人には
ネットビジネスについて知ってほしい。


今の時代、
個人でリスクなく始められる
ネットビジネスはたくさんあります。

そのなかでも、おすすめしたいのが

「コンテンツ・ビジネス」

です。

ボクはこれまで、
主にブログでアフィリエイトをしてきましたが、

これをガチでスケールさせられるのが
コンテンツ・ビジネスだと気づきました。

このブログでは、
コンテンツ・ビジネスをはじめとして

ボクが経験してきたこと・勉強していることを
発信していきます。

最初にも書いたと思いますが、
知識投資に200万円以上は使ってきましたし、

そんな知識をボクなりに噛み砕いて
お伝えしていきたいと思っています。


ビジネスは、
必ずしも難しいものじゃありません。

怪しいものでもないです。

凡人に無縁なものでもない。

ただ、

多くの人が知らないってだけ。

やったことがないだけです。

ビジネスは

知ってるか知らないかだけの世界

なんですよ。

だから、知識さえ学べば
PCが苦手な初心者だって主婦だって、

大学生だって、いや小学生だって、

ボクみたいにトロい人間であっても、
ちゃんと取り組めます。

まともに会社員をやれている人なら
まず、できるはずです。

フリーランスになってみてわかりましたけど、
会社員として当たり前に身につけてきたことは
どれも当たり前なんかじゃなかったです。

その素晴らしいリソースを、会社のためだけじゃなく、
自分にこそ活用してほしい。

毎朝決まった時間に起きたり、
1日8時間くらい労働したり、
卒なく人とコミュニケーションがとれたり、
事務処理がしっかりやれたり…

こういうの、当たり前じゃないですよ?

客観的に自分がどれだけ優秀なのか
わかってない人が多いです。

マジでもったいないな…。


ボクは会社を辞めるまで12年間、
会社員をしてきました。

今度はその経験を活用して、
自分で稼いでいきます。

チャレンジしなければ、
せっかく経験してきた失敗たちが
投資になってくれることはありません。

いつまでも同じ村にとどまって
スライムだけ倒しててもつまらないです。

じゃなくて、
スライムを倒してできたお金で武器を買って
まだ知らない街へと冒険していきたい。

その道中でもっと強い敵と遭遇して、倒して、
レベルアップしていく。

お金も稼ぐ。

新しい街では、稼いだお金で
もっと強い武器と防具を買い揃える。

これでもっと強い敵とも戦えるようになる。

旅をしていると新しい仲間にも出会える。

自分と同じ志をもった人とか。

同じ街にとどまっていては、
同じ仲間としか絡めないけど。

それはそれで幸せかもだけど。

旅の途中で、思わぬ強敵にはばまれ、
死んじゃうリスクもあるかもしれない。

まぁでも、死んだところで
前の街に戻るだけです。

そういうセーフティネットって
現実世界にもありますよ。

特に日本なんて。

ていうことで、
挑戦しちゃいません?


こんなに長いプロフィールを読んでいただいて
ありがとうございます。

もし、質問や感想などがございましたら
お気がるに送ってください。

すべてに目を通させてもらい、返信します。

では、これからもどうぞ、よろしくお願いしますm(_ _)m

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